続き

 ノベルゲームの「演出」のそれ。

 省略すべきところを省略するのも演出だと考えたとき。

 東鳩の、ナンパゲーにビジュアルノベル形式採用って、それ自体が「演出」と言えたのではないだろうか。つまり、かつて必須だと思われてた試行錯誤の部分を省略し、残った部分をクローズアップする演出手法。

 で。今だと戯画その他で、エピソード選択(ヒロインアイコンが横にくっついた場所アイコンを一覧から選んでエピソードに入る)形式がかなり増えて主流になってきてるけど、これは、マップやカレンダーを経由してシナリオに入ってた従来形式から、マップやカレンダーを省略した形と言える。つまりキャラクター相互や背景世界との間の全体を連結するような位置情報や時系列情報はもはや必要ないと判断された。これはアージュのシステムがキャラクターの三次元位置情報を入れられるとブチあげてたような、虚構の世界観をガチガチに固めてくのの逆。しかも、各選択エピソードは読んでも読まなくてもいい小エピソードの集合が半分を占め、ビジュアルノベルのような文章の連続性の形式は最初から放棄してある。その意味で、正しくAVGの直系だったりする。

 こうして比較してみると、旧来のアドベンチャーで必須とされ、一番大事なところとして扱われていた部分を削除することで、擬似漫画・擬似映画の部分を効率よくクローズアップするための前準備が済まされてることに気付く。

 つまり。ここに旧来のAVGをそのまま加えるというのは、せっかく省略してた部分を復活させるということで。間延びしてスピードが失われ、魅力が減じる危険性というのは指摘されるべきじゃないだろうか。